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虎門狼(こもんろう)

  • 執筆者の写真: ナムル皇帝
    ナムル皇帝
  • 2023年4月9日
  • 読了時間: 2分

587~661

人類初の成文法「虎門狼」を成立させた。

今までは王様のその日のさじ加減で決まることの多かった訴訟。

様々な揉め事を「〜の場合は〜する」と成文化を行った。

つまり、王族のワンマンとならない法治国家誕生の先駆けとなった人物。


彼はイストラグンド大陸の華犠村出身で麿(マーロ)帝国に政務官として出仕。

当時の皇帝であったチュシ・テ・ゴランが一日数百件の揉め事を精査し、

疲れ切っている現状をなんとかできないかと考えた。

そこで彼は一つ一つの詳細を乳凛(にゅうりん)の発明した紙に記録することを提案。


将来の揉め事の判例として活用することで過去事例に近い案件は瞬時に判断ができ、

効率化が図られるのではないかと提案。

これが採用され、帝国の訴訟事務に関する処理スピードは上がり、皇帝は政治に時間を割けるようになったという。一般的に皇帝の事務は「法務」と「政治」と「軍事」がメインであったが、麿帝国は皇帝が政治と軍事に集中できるようになり、非常に先進的な国家となった。


虎門狼はその後も、多くの事例を集め「虎門狼」を執筆。(644年)

日々記録される訴訟案件を体系化し、よく起こる慣習的な事象に対しての判例を提示し

早く判決が出されるように努めた生涯であった。

(その後も虎門狼に様々な案件が追加記載されていく。)


コラム:法治国家の先駆け

麿帝国は以降皇帝が法務に追われることなく、特に軍事力が発展しイストラグンド大陸の覇権国になっていく。しかし、法務を完全に法務官に丸投げしたことにより、法務官と貴族が虎門狼に自分たちに有利な事例をでっち上げ、継ぎ足していった。

形骸化した法務運営により不利益を被り続けた華犠村は奈無流を中心に立ち上がり、

9世紀の華犠国の建国、麿帝国の消滅となっていくのである。

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