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バク天武后

  • 執筆者の写真: ナムル皇帝
    ナムル皇帝
  • 2023年8月20日
  • 読了時間: 2分

755~821

レコバカーリ大陸の王、ミズヒコの妻。

生まれはレコバカーリの農民の家であったが、領地視察をしていた際に

絶世のルックスを買われ入内。


ミズヒコとは仲睦まじく過ごしたが、彼はスコールの中雷を受けた。

4倍のダメージが入り、急死。

その際王直属のイケメン達、邪兄ーズ(ジャニーズ)が政治を取り仕切り、政治が乱れた。形見の子を残し未亡人となったバク天武后はキレッキレのダンスから

垣間見えるチラリズムを魅せ、邪兄ーズの各人の切り崩しを決行。


ずっと男子社会で生きてきた。そのため今更思春期、第二次性徴を

迎えたかのような感覚を得た彼らはディアドコイ並みに足並みを揃えることができなくなった。そしてノンケになりかけ勝手に内紛を起こし、衆道に塗れたまま自滅し、散っていった。(777〜778年:邪兄ーズの専横)


その後形見の子エスヒコを王に立て、

ささやき女将さながら裏からエスヒコを助け政治を取り仕切った。(垂簾政治)

母のスゴさに感服したエスヒコは母に禅譲することを決め、

レコバカーリ大陸では現在ともに唯一「ヒコ」を名乗らない

女帝が誕生した。(780年バク天武后の即位)


即位して間もなく女帝擁立に反対するニョローン半島では

ダニルダ二が支援した反乱が発生。しかし、軍閥を全て握った

ため難なく鎮圧。ダニルダ二の阿部ピラフ将軍の激しい反撃もあったが、

これも撃退している。(785年:如村江の戦い)


年老いても凛として美しく、施政中には以降争いが起きず平和が続いた。

最期はエスヒコに看取られ大往生。

エスヒコは母の薫陶を受け継ぎ、安定した政権運営を続けた。

(バク・エスの治)

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