笘斗(トマト)
- ナムル皇帝 
- 2023年10月22日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年10月28日
1240~1309 華犠国の女帝。女の子であったため元々後継ぎとして育てられず、 幼少の頃から将来他国へ結婚して嫁入りする際に恥ずかしく無いよう 「鷹羅塚(たからづか)」へ入団し教養を深めた。 加えて、圧倒的な凛々しい声、ルックス、演技力を持って銀橋で1年目から例外でセンターを努めた人物でもある。 これは現在でも唯一であり、華組伝説のアクターとして語り継がれている。
18歳の時に嫁ぎ先選定の為にレコバカーリ大陸を訪問。 荘厳な龍の如きドラヒコ(1237~1295)に求婚されるも、正直興味のなかった笘斗は無視した。そのころ華犠国ではそこらへんの軟男より圧倒的なカリスマ性を見せる笘斗を 初の女帝として即位させるよう運動が起こり、結局嫁ぎ先が見つからず帰国した 1259年に華犠国の女帝として笘斗は即位した。
彼女は鷹羅塚で研鑽したリーダーシップをもとに政治を行い、 そのカッコよさに宮廷の人々は惹かれ、能動的に動き全てが上手く回った。 (たぶんゆかりん王国のようなもの。以降政治のトップは容姿の良い人がやるべきというルッキズムも産まれる)
戦闘でも鷹羅塚のセンターを努めた努力の結晶たる筋肉で、 当たり前のように男性と同じように騎乗していたと記録に残る。 彼女は敵陣の移動時等瞬間的に出る弱点を突くのが上手で 彼女が先陣を切るタイミングでの突撃は必ずと行っていいほど敵に大打撃を与え、
勝利に導いた。
イストラグンド大陸南征(1265年)のフー王国制圧以降「鷹羅塚の戦乙女(ワルキューレ)」と呼ばれるようになる。そんなカリスマの彼女にもたった一つだけ満たされぬものがあった。
それは「恋」であった。
弱い男はずっと跳ね除け、国に恋をし生き続けた。 しかし、30を過ぎた頃から毎年のように鷹羅塚の仲間の結婚式に電報を打つたびに心が荒んでいった。かれこれ40を手前にし、パートナーがいないことが原因か、病により休みがちになっていった。
この報を聞いたドラヒコ(18歳で出逢った時からガチ恋継続中)が 華犠国を一人で訪問。実はドラヒコからずっと季節、新年の挨拶の手紙を律儀に送られ続けており、自分の病にわざわざ国王の身分を捨てて単身乗り込んできた姿にズッキュン。
華犠国の国民もこの国を超えた一途なラブに感動し、1280年に笘斗40歳、ドラヒコ43歳の王同士の結婚が成立。
華犠国とレコバカーリ大陸は同夫婦君主連合となった。
1295年にドラヒコが雪合戦大会で雪玉にあたり急死したあとも笘斗は レコバカーリ大陸ではハガヒコとして即位し、1309年まで同君連合を継続した。
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