芝生(しばふ)
- ナムル皇帝 
- 2023年3月11日
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更新日:2023年4月8日
1111~1171 龍の顎(ドラゴン・ジョー)大陸の王:芝居(しばい)の弟。
劇場的な兄とは対象的な人物であった。 兄:芝居が遠戚であるアラブック・ド・イズラゴン女王を処刑しようとした際、 血の繋がり、大切さを諭し、宥めるなど仁や義に厚い。
芝一族の取りまとめをしていたのも実質彼である。 そのため、「黒衣の宰相」という異名を持っていた。
彼は兄の芝居の戦争や企て全てに同意はせず、 自らの在り方を貫き続けた。兄も彼を認め時に喧嘩をし、時に言うことを聞く。 故に独裁ではなく建設的な国家を続けることができた。 また、天才的な戦争のセンスがあった兄は兵站については何も考えていなかった。 その点を裏方でしっかり支えていたのも芝生だと言われている。 かつ民には善政を敷き、常勝かつ善に溢れた大陸内で最も勢いのある国家となった。 (1160~1168:芝・居生【シバ・イフ】の治)
芝居・芝生兄弟の全盛時代には「10女王16王国」が「3女王国5王国」にまで減少した。 多くは芝兄弟の国家「ゴンドラ・ゴン」が滅ぼしていった。 芝兄弟が生み出した龍の顎大陸の「国家としての統一感」のモメンタムは 次代の芝相(しばしょう)に受け継がれていく。
コラム①:芝生と芝相 兄:芝居は1168年に死去。その後嫡男の芝相が継ぐが、 彼は芝相が独裁者となり、国家が滅びぬように多くの知恵者を集めた。 これが後の「内閣」となり、知恵者の合議による政治形態が生まれていく。
芝相は芝生のブッチュが何より嫌いであったことが当時の多くの書物に記載されている。
コラム②:芝生とコドモド国
コドモド国はドラゴン・ジョーの嫡男が建てた国で龍の顎(ドラゴン・ジョー)大陸の
対外的な行事は全て戦はあれど取り仕切っていた。(他大陸との交渉、戦争等)
1159年にコドモド国が子なく断絶による禅譲をゴンドラ・ゴン国に行った際、
最後の王「チューシタイ」への忠義を貫き、最後まで禅譲に反対したのが芝生であった。
彼はチューシタイがゴンドラ・ゴン国の一領主となった後も、自宅には最高級の
もてなしで招待し、今まで通り君臣の礼をもってブッチュしていたという。

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