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第一次ダニルダ二大戦①

  • 執筆者の写真: ナムル皇帝
    ナムル皇帝
  • 2023年8月30日
  • 読了時間: 1分

1905~1909

1904年のネットワーク開通。

それは「何者か」になりたがる一般人を多く生み出した。

各人の多様性を最大限に引き出す一助。そうかもしれない。

だが、自由奔放な海の国ではそれは「死」をもたらす。

ダニルダ二諸島では、皆が皆インフルエンサーになろうとし、

失業率が80%を超え、税収が悪化。国家財政の破綻に至った。

国のサービスは全て停止し、民衆はデモを起こす。

前の世紀の革命が為政者達の脳裏をよぎった。

それはつまり今ある既得権益の喪失。

(1904年:インフルエンサーの怨嗟)


時の首相、ダンニーヌは政治的なヘイトを逸らすために、

民衆の目を国外に向かせる。

SNS発祥の国、ドラゴン・ジョー大陸の「デシャバリ公国」である。


1905年1月21日。宣戦布告。世界中で誰も経験したことのない、

世界戦争の勃発。後に言う「第一次ダニルダニ大戦」である。

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