亜蒙礼(アモーレ)
- ナムル皇帝 
- 2023年10月23日
- 読了時間: 2分
1803~1841
華犠国の大将軍。皇帝九楼豆(クロマメ)の妻ウザベルを簒奪しようとし、反乱を起こした。
九楼豆(クロマメ)は対お菓子反対大同盟にて失墜した華犠国の権威を復活させるため
ガイシュー湾、イストラグンド大陸北部の山民族、イストラグンド大陸東部海岸への軍事侵攻等を活発に行い、全ての戦争に勝利し、
「三全武功」と呼ばれる程に力を取り戻した。
同時に戦争で嵩んだ費用を新たに従属させた国々に負担させ国民負担を無くし民衆の人気も得た。軍事面においては亜蒙礼が大将軍となり全てを勝利に導いている。政治、戦争ともに順風満帆の九楼豆であったが今は亡きブーランジェ公国の娘ウザベルとの政略結婚生活は上手く行かなかった。
大前提として華犠国が対お菓子反対大同盟に端を発するブーランジェ公国再興を失敗した時点で仲は険悪になることは自明の理であった。
(当時九楼豆は3歳で結婚しただけで何も悪くはないのだが)
そんな夫婦に対して亜蒙礼は戦場働きでは九楼豆に寵愛され・・・
そして夜はウザベルに寵愛されどちらの大剣も快刀乱麻の働きであった。
このような動きをした理由として亜蒙礼はウザベルの出自を考え、危険視していたためであると言われている。彼女を快楽に委ねさせることで反乱の意思を無くさせようとしていたのである。
国家のため。皇帝のため。皇后のため。全てを丸く収めようとした。私心なき行動であった。しかし、体を重ねる内にウザベルへと情が移ったのか反乱を決意。
九楼豆が従属させた国々の不満を汲み取り連合軍を結成。
皇帝と皇后の戦争が始まった(1841年:恋の三日天下戦争)。
戦争は遠隔地で統率、連絡の取れない皇后軍が百戦錬磨の皇帝軍に各個撃破され三日で決着がついた。亜蒙礼には誰にもついていかず、皇帝軍は全て九楼豆に従ったと言われている。
皇后ウザベルと亜蒙礼は民衆の前で逆さ吊りにされ、形姿をわからなくなるまで石を投げられ、同所にて息絶えたと記録されている。
コラム:その後の九楼豆
華犠国を再興させた九楼豆であったが、皇后と信頼していた大将軍を失い以降は笑顔を見せることがなく、覇気を失っていった。目にはくまができ、「黒豆」と揶揄されるようになったが、呼んだ者を処罰することもなかったという。
経済鈍化についても政策を打たず、民心は離れていき、
麿帝国復活を掲げる集団「マーロ・レ・ミション」による
民衆反乱によって1856年に約1000年続いた華犠国は滅亡するのである。


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