明在宅(ミョンザイタク)
- ナムル皇帝 
- 2023年3月10日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年8月11日
イストラグンド大陸に存在した「豪牲(ゴウゼ)国」の創始者。 彼は元々は一般的な部族の「在宅族」の長であったが、 華犠国の傭兵として戦争を遂行するにあたり、頭角を現した。 なんといってもすごいのが彼は「戦場には行かない」ことである。 「我在宅。」といい「あぁ、もう勝つように祈っといたから。」と伝え戦場には向かわない。 彼の旗印がなびく中、彼のいない戦場にはいつも勝鬨の声が鳴り響く。 力をつけ華犠国から独立し、「豪牲(ゴウゼ)国」を立ち上げることになった。 国政は弟の「今在宅(コンザイタク)」が現場を取り仕切る。
そして勝てば勝つほどに軍団の結束は高まっていった。
しかし、兄の明在宅を神格化するもの。弟の今在宅の実務に惹かれるもの。
一国家に2つの統治者。それぞれの部下がお互いの権利、正当性を主張し合うようになる。 兄弟は担ぎ上げられた神輿の上で、下の者たちに命を委ねることになる。
1071年4月18日、兄明在宅の派閥の宴席に紛れ込んだスパイが殺害される。 弟今在宅も寝耳に水であったがもはやこれまでと思い、
出兵。戦争に至る。(在宅族七日間戦争)
戦は一進一退の攻防を続け、1071年4月25日に兄より弟へ休戦の使者が来た。 弟は死を覚悟して兄の陣地へ向かう。
これみよがしに明在宅の重臣「退済(タイサイ)」がだまし討ちを決行。
今在宅は討ち死し、知らなかった明在宅は涙を流し、退済を晒首にしたという。
部下たちの権力争いに巻き込まれた悲しい兄弟であった。
生き残った明在宅は華犠国へ侵略戦争をしかけるも常勝だった頃とは異なり、 常に連戦連敗し、国家の財政を一代にて逼迫させたと言う。
弟の現場マネージメントと兄の権威性があってこその国だったと言えよう。 その後次代の非在宅の次代に豪牲国は滅ぶ。栄枯盛衰。
コラム:「ヤット・イタ・カラ」との繋がり
明在宅はナンデ・モ・ウカル伯爵が生誕する前に「やっといたから」を 実践した人物である。大陸と時代が異なるこの2者に繋がりがあるかどうかは
現代でもわからず「ジャンクペディア七不思議」と言われている。

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