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レーヤン・ラン・ソー

  • 執筆者の写真: ナムル皇帝
    ナムル皇帝
  • 2023年3月7日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年8月25日

1587~1655

ドレークアイランドのレーヤン朝9代目。

当時世界最強の国家であるイストラグンド大陸の「華犠国」を

唯一打ち負かした人物。華犠国の皇帝「禅魔衣(ぜんまい)帝」との書簡は有名。

華犠国への臣従を迫られたレーヤン・ラン・ソーは

対抗の意思を示すため全ての条文に対して韻を踏み返したという。(ライムレターの挑発)

戦場と船上を生きる男のフリースタイルラップが生まれ国民は高揚し、

華犠国へのディスをブッ放す兵士が意気揚々戦場へと向かっていった。

(イストラグンド南洋海戦戦役 1641~1644)


戦闘においては火薬発明による大砲を多く備えた華犠国が序盤優勢に立つも、

終盤は雨の日の海戦のみを重視したレーヤン・ラン・ソーの徹底的な戦術に苦しめられた。

また、ラップが五月蝿いのであまり砲撃音がレーヤン朝の兵士へ

心理的負荷が少なかったことも要因と考えられている。


最終的にはレーヤン朝の反撃はガイシュー湾にまで及びよもや本土決戦を迫られた

華犠国はレーヤン朝伝統の降伏の踊り「ヤーレン・ソーラン」を踊り和議を結んだ。

(ガイシュー湾反撃作戦 1643、ハドッコ・ショーイの和約 1644)


この戦役の後、ドレークアイランドを要するレーヤン朝は全盛期を迎え

陸と陸をつなぐ海洋覇権国家として栄える。

一方、制海権を牛耳られた華犠国は大陸の覇者は続くものの、対外的な情報収集ができず、

徐々に近代への進化を迎える海洋国家からの侵攻を度々受けるようになる。(華犠の海難)

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