ナンデ・モ・ウカル伯爵
- ナムル皇帝 
- 2023年3月6日
- 読了時間: 2分
1502~?
「そう。俺ならできる。」
とにかく上手くいく。そんなことを言い続けていたら
世界に名を馳せた宗教家。現代の「ヤット・イタ・カラ」の創始者。
彼は若い頃は勤勉な大学生であった。当時の名前は「カルス・プディー」。
友の宿題もこなし、親の代わりに家事もこなし、そしてその軽やかな身のこなし。
それにつけても(おやつはカー・・)彼はなんでもうまくいった。
受験は当然合格。就職も難なく外交官。
歩いては落ちている10,000イワヒコ通貨(現代の貨幣価値で10億円相当)
を手にするぐらい上手くいく。だって「俺ならできる。」から。
そんな彼は22の誕生日を迎えた夜に
神「スッタ・モンダ・アッタンダモンデ・アルデンテ」と邂逅する。いわゆる啓示だ。
(神は天孫島の人物ではないかという説有り。)
「あなたは選ばれしものです。どんなことでも上手くいく。
でもそれだけではだめなのです。施してごらん。恵んでごらん。
あなたはその為に生まれたのです。決して自らを肥やしてはなりません。」
とふんわりやんわりと優しく語りかけられた。
この誓いを大切にすることを誓った日が「ヒタチ・ロシの誓い」である。
(レコバカーリ大陸のヒタチ・ロシで行った為、この名がついた。)
彼は一般の人にも「俺ならできる。」と念じさせてそれに対して
実際に施し、恵みを与えることにした。
すると多くの人々が入信し、一大宗教団体となった。
教義はシンプルで「俺ならできる。」と唱えるだけ。皆やる気が出て努力する人々。
そして、教祖たる彼は「ナンデ・モ・ウカル伯爵」と呼ばれるようになった。
学術機関の定員over合格が増え、当時の国家の教育部門はほとほと困ったらしい。
だが、皆が努力をし国家としては利益になるため宗教には目を瞑り、保護した国もあった。
彼の作り上げた宗教がのちの資本主義の根幹を作り上げて行くことになるのはまだ先の話。
彼の人生はこのまま大往生を迎えるかと思いきや、
彼はいつの日か消え、教祖の立場を去ったという。
自分の幸せを望んだ故に滅されたという伝承がある。
彼は旧名「カルス・プディー」。修道院の僧のごとくハゲていた。
だが、彼は恋に落ちた。独占してチューしたいと思ったのだ。
「ハゲは無理ぃ。」と言われフラレた。その腹いせに女性を閉じ込めたのだ。
牢に閉じ込めた瞬間、彼は現世から急にフッ・・と消えたという。
信じるか信じないかはあなた次第です。
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