キムラッポ総督(木村楽歩)
- ナムル皇帝 
- 2023年3月6日
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更新日:2023年10月1日
1726~1790
生まれはイストラグンド大陸。ツーランド一族の遠戚として生まれる。
幼少期は神学を学び、啓蒙専制主義に惹かれる。
後、アイヅッポよりサムア・ベイシリア総督を受け継ぎ、
ラク・マスンと共に天孫島北部へ来航。
警備をしていた天孫島渡島藩の藤原岩切(1735~存命)に勾留され、
函館にて3年間イストラグンドの情勢を聞く重要参考人として扱われる。
その後、脱走を図り成功。(1773年:キムラッポ脱獄事件。)
※当時の名が「木村楽歩(キムララッポ)」である。
キムラッポが天孫島では聞き取れなかったようである。
乗船していた「キムラッチョ・チェケラッチョ号」にて天孫島の窓口、
「出口島」へと向かい、ツーランドとの通商を迫るも実らず。
失意の内に帰ったキムラッポは北と南を間違え、ジャム王国(こちらのタイ)に到着する。
そのまま歓喜の渦の中天命をジャム王国にて迎える手前、
キムラッポを詮索していたツーランド兵に拿捕される。
サムア・ベイシリアに戻ったキムラッポは家族に死んだものと思われ
財産も既に処分され失意の中死んでいったと言う。
彼の人生は
オ・ナラプーシキンの「タイの娘」にて主人公の名を借りて語られている。
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