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イクノサク・ヨシゾー

  • 執筆者の写真: ナムル皇帝
    ナムル皇帝
  • 2023年3月11日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年8月15日

1773~1850 龍の顎(ドラゴン・ジョー大陸)の「パラディス・フロン・ディスタブーン」のリーダー。 戦乱長引く大陸に新たな「革命政権カルタヘナ」を打ち立てた。 1773年、パラディス・フロンディスタブーンにて生まれたが、

父母は不明。捨て子だったと言われる。そのため言葉がズーズーなのかもしれない。 彼はパラディス・フロン・ディスタブーン内の裕福なカルタゴ・エスカルゴ夫妻の下に預けられ育った。彼は5才の頃から兵法書「メルメルメルメ」を読み込み、

そして子どもたちの喧嘩合戦では常に先頭に立つ。 文武両道の彼は流れを感じて敵陣の間隙をつく急襲戦法を得意としていた。 義父も生兵法ではないこの雄姿に「いつか大陸を統一するのでは」と本気で思う。

14才で彼は元服し、初めてパラディス・フロン・ディスタブーンの外を出る。 その時見た光景は荒れた大地、焼け付いた家屋、綻びた城壁、無数の骸であった。 義父カルタゴより大陸の歴史を伝えられた彼は現在蔓延る国家を全て打倒し、 新たな民衆の、民衆による、民衆のための国を創り上げることを決意した。


元服して4年後の1791年パラディス・フロン・ディスタブーンに

「ゴンドラ・ゴン」王国の芝刈(しばかり)が出兵。 ヨシゾーは楽園を守るための有志の軍隊「ヘイロー隊」を結成した。 戦闘は戦慣れした王国軍が終始優勢にたつが、優勢の中で前へと進み隊列が伸びたところを ヨシゾー側近「ホロホロ衆」の少数精鋭騎馬隊が孤立した芝刈の本陣へ突撃。 見事王を捕らえたヨシゾーは民衆の前で芝刈を芝刈り機で処刑し、 人々が群れを成しただけの楽園「パラディス・フロン・ディスタブーン」で初のリーダーとなった。


その後も各王国が楽園に戦争を仕掛けるも、電撃的な奇襲で連戦連勝。 神出鬼没。負けそうな場面を一瞬で有利に変えるその戦ぶりは たくさんの頭がありどれが本体かわからない九頭竜になぞらえて「九頭闘神龍」と崇められた。1812年には楽園以外へも領土拡張、「革命政権カルタヘナ」を立国。

1820年には民衆に議会の開設を約束し、1821年の「カルタヘナ民衆選挙」にて当選。 初の総裁として君臨した。1821年から5年総裁を努め、政治を引退。 次の選挙では「ホロホロ衆」であった「ウォルン・ポルン」が総裁に就任した。

その後は政治には関わらず、再度軍人として政権を軍事面から支え続けた。

1834年にはレコバカーリ大陸の同盟国「ポンポコポン国」の援軍に向かい、

(ヘイセイタヌキポンポコ救出戦) レコバカーリ大陸覇権国との関係良好に努め、龍の顎大陸の王国への傭兵流出を禁ずる条約(リヒト・ウダメーヨ通商条約)締結に成功した。


「新たな世界はきっと次代が考えてくれる。」そう言い残し

1850年に民衆全てに感謝されながら大往生を迎えた。民衆の願いたってのことで

国葬にて丁重に葬られたという。


コラム:電撃的な奇襲の裏側

イクノサク・ヨシゾーは非常に発音が聞き取りづらかったと言われている。

いわゆる津軽弁のような濁ったというか、「ことば」と「ことば」の間の境がないような

話しぶりであったため、部下は何一つ正直理解していなかった。

「行くどい。」と話すといきなり馬に乗り、戦争を始めることが多く、

また、基本一箇所のみを急襲するのでとりあえずのっかっといた結果、

その戦ぶりは九頭竜の如く神出鬼没であると後世まで語り継がれている。

ある種コミュニケーションの簡略化が功を奏したと言えよう。


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