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アンティザンの演説

  • 執筆者の写真: ナムル皇帝
    ナムル皇帝
  • 2023年4月19日
  • 読了時間: 1分

更新日:2023年8月8日

1816/7/25

アンチモ・ナーク(旧ブーランジェ公国)のアンティザン広場で開催した演説。

イイチコ・カタパルトがアンチモ・ナークの民衆の前で

「天下は、俺が大義を成すためにある。」と宣言したことで有名。

当日は革命政権カルタヘナを設立したイクノサク・ヨシゾーも遥々参加し、

民主化を世界に唄う式典となった。しかし終始ナルシストな発言、自らが完全な民主化への移行期間として総裁に就任することを聞き

イクノサク・ヨシゾーは辟易し、距離を置くようになったと言われている。


・・・というのは通訳が伝えてくれたからわかったようで、

演説に立ち会った際は、

「いや〜こだかっこいい都会っ子みて〜になりてべし。」と惚れ惚れだったらしい。

(とりあえずこの演説を踏まえてヨシゾーは自ら上に立つのではなく、議会設立による民主化を考えたと言われている。)


一方、民衆はカリスマの総裁就任に熱狂をし、カタパルティストのような狂信者が生まれる背景になった。加えて各大陸の民衆政権には武力による援助を行う旨も宣言。

民主化のためには戦争も辞さない旨を各王国に伝えた。


この式典を通して、民主政権が世界に公となり、新たな時代が生まれたのである。


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