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タカ王

  • 執筆者の写真: ナムル皇帝
    ナムル皇帝
  • 2023年4月19日
  • 読了時間: 2分

901~965

イストラグンド大陸のイシュー湾国の王。

「おう、ええで」、「あともんどくわ」が口癖で

とりあえず民臣の声を全て受け止める君主として有名。

(だいたい後で「しらん。」って言われるのはご愛嬌。少しはもんどけや。)


そろそろ年とったなーと思って跡継ぎを決める際にも、

息子3人に向けて

「ええやつに与えるわ。」のみ。

王子達は「いや、何が良ければええねん。」という思いは留めつつ、

長男:ショージ1世皇太子と次男:ケヤンケヤン王子は

お互いを攻め、貶め合い、争いあった。

戦嫌いで有名な三男のリマ・マヤエルを除いて。


959年にタカ王は「おう、忘れとった。(行儀が)ええやつに与えんねん。それは戦を起こさなかったリマ・マヤエルやで。」と三男:リマ・マヤエルが後継となることを正式に宣言(タカ王の齟齬)。


これに憤慨した兄2人はイシュー湾に集結。タカ王と三男の宣言を撤回させるべく、軍事行動に出た。しかし、欲深い2人は戦が膠着するに連れお互いに刺客を差し向け、瓦解。

タカ王と三男に結局に打ち破られ、王位継承は露と消えた。

めでたく、リマ・マヤエルが国王となりましたとさ。


この話は、ミガデルスの「ダプン童話集」にほぼ実話で記載されている。


コラム:イシュー湾がガイシュー湾になった王

元々ドレークアイランドの襲撃が多かったため、イシュー(問題)が多いとして「イシュー湾」となった。しかし、たくさんの民意を聞きすぎたタカ王はよく王宮を抜け、

イシュー湾を歩いてクールダウンをしている姿が記録されている。

王宮の外周をよく歩くことから「ガイシュー湾」となった。

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