タニマ・ウマル
- ナムル皇帝 
- 2023年5月17日
- 読了時間: 2分
1943~1992
イストラグンド大陸の石油産出国「マーロ・レ・ミション」の総統。
1980年の総裁就任当時はアメルカリ共和国と自国の石油と
生花の貿易で友好を保っていたが、
アメルカリ共和国は途中から店舗、家庭で使用された後の中古の生花を
こっそり新品の値段で売りつけるようになる。
気づいたマーロ・レ・ミション側も対抗し、
石油の中にローションを混合させ輸出を始めた。
貿易摩擦が起こる中、相対的に経済力の低いマーロ・レ・ミションは我慢の限界を迎え
花の名産地であるアメルカリ共和国内のハナデカ村へ侵攻。(1991年:ハナデカ村防衛戦)当初はアメルカリ共和国のネルネルネルネ上院議員に
ネルネルネルネを渡し懐柔したことから、アメルカリ共和国は統制が取れなかった。
タニマ・ウマルは敵が出兵ができない内に有利に盤面を進めた。
(ネルネルネルネと思ったものはただのローションであったが。)
しかし、ハナデカ村のタニマのある女性に恋をしたところ、撃沈。
ウマルことはできなかった模様。
一瞬の感情で民間人のジェノサイドを行ってしまった。
このジェノサイドにより世界中から国際避難を浴び、戦争の継続は困難となり、
ハナデカ村の領土回復に向かったアメルカリ共和国軍に敗北し、捕虜となった。
タニマ・ウマルはアメルカリ共和国の法律で裁かれ、翌年1992年に絞首刑が言い渡された。
コラム:最期まで諦めなかったタニマ・ウマル
絞首刑の当日、看守より最期に欲しいものを聞かれ「故郷産のローション」を所望したという。渡されたタニマ・ウマルは絞首刑の前に首に塗りたくり、絞首刑をくぐり抜けた。看守達が混乱している中獄中脱走を図り、自国へと向かい始めた。石田三成のように死ぬ前まで諦めることはなかったのだ。
しかし、奇しくも国境付近のジェノサイドしたハナデカ村で銃殺されたという。
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